muuchan-sensei’s blog

プロ飼い猫であるむーちゃん先生が飼い主の独り言をまとめている。飼い主は都内の某外資系IT企業で社畜ライフを満喫しながら日々何かを模索しているらしい。

コミュニケーションは100を超えて初めて相手に伝わる?

「あいつ何言ってるか全然分からない」

「あいつ物分かり悪過ぎる」

 

と言う上司や同僚を見た時いつも思うことがある。

 

それは自身の「伝える」能力と「受け取る」能力を客観的に捉えられていないということだ。

 

筆者はいつも人と会話をする際に、頭の中でコミュニケーションに必要な能力である、「伝える」「受け取る」能力を数値化(完全に主観でしかないですが)し、両者間で合計100を超えた場合に初めて伝わると言った妄想を繰り広げている。

 

例えば

 

自身の「伝える」能力値が80あっても、相手の「受け取る」能力値が15であれば合計95なので伝わらない。

 

逆に自身の「伝える」能力値が25であっても、相手の「受け取る」能力値が90であれば合計115なので伝わる。

(どんなにこちらが拙くてもいつも気持ちいいぐらい理解してくれる人は周りにいないだろうか?)

 

何が言いたいかというと、コミュニケーションを成立させたいのであればどちらか一方に依存するのではなく両者が互いのレベルを把握して歩み寄らねばならないということだ。

(ちなみに、歩み寄ることによって瞬間的にどちらか、もしくは両者の能力値が上がり、合計が100を超えて伝わるというイメージ。始めから100を超えていれば何の苦も無くコミュニケーションができている状態)

 

上司と部下の関係で言えばわざと突き放して能力値を上げさせるという行為もあると思うが、きっとそれは自身と部下の現状能力をしっかりと把握した上での愛のムチだろう。

ハナから諦めている訳ではない。

 

筆者は社会人になりたての頃、海外研修に向けカナダ人の講師の元、英語の訓練を受けた経験がある。

 

そこでいつも彼が口を酸っぱくして

 

「Push to understand, push to be understood」

 

という言葉を何度も繰り返していたことを覚えている。

 

これは「理解する方もされる方も努めろ」という意味なのだが、新人同士あまり英語が得意でない状況下(つまり互いの能力値を足しても全然100に到達しない状況)でなんとか相手に伝えよう、なんとか相手の言葉を理解しようとする経験を通して、改めてこの言葉の意味が身体に沁みた。

 

コミュニケーションには両者の歩み寄りが必要だという至極当たり前な話だが、読者の方々もドラゴンボールスカウターみたくこんな妄想をしてみてはいかがだろうか?

 

ではまた。