かめのように生きる内向型、うさぎのように走る外向型
どうも生まれてからずっと生き急いでいる感覚がしている。
幼稚園の頃はみんなとわいわいがやがやするのが得意では無かったらしく、気の合う仲間とだけゲームの話をしたり、普段入ってはいけない体育館の隅っこの本棚にある世界の昆虫を載せた大きな図鑑を忍び込んでずっと読み込んでいるような子供だったらしい。この頃はまだ何にも影響されていないからか、自分の本性に近い行動をしていたのかもしれない。
それからそれなりに器用にやっていたのだろう、小学校、中学校と友達もそれなりに多く、成績もそれなりに良く、運動神経も悪くはない。また、学級委員長を良く任されるようなタイプの人間だった。
きっかけはそもそも自分が人と比べて体力があまりないと感じ始めた頃からだろうか。
小学校、中学校と野球部に所属していたがいつも練習後に遊びでサッカーを始める部員をよそにぼくはどっぷり疲れきってすぐ家に帰ってくつろいでいた。
高校時代は部活にこそ入らなかったが、あまり気の合う人間と巡り会えず、遊びにも誘ってもらいはしたが気を遣いすぎて疲れてしまうので体良く断るうちに誘われなくなったが、それでも何となく仲間外れになるのが嫌でなるべく色んなイベントには参加はしていた。
決して人嫌いな訳でも無い。気の合う友人と少人数で深い話をするのであれば朝まで楽しくいられる。
ただ、体力(もっと正確に言うと気力)が減退している時はどんな遊びも断りたいし、予め予定されていた予定もなんとか理由をつけてドタキャンしたいという思いはずっと持っていた。
まるで無尽蔵の永久機関でも持っているんじゃないかってぐらいのアクティブな人達がずっと羨ましかった。
彼らはいつも楽しそうだ。また、どんなに不健康な生活を送ってもなぜが元気そうなのだ。
外交的で、常に新しい刺激を求めていて、繋がった人脈や経験をもとに自身の可能性を広げていく。基本的に世の中一般の「デキる」と言われている人間はこのような特徴を持っている、またはこのように動けと指南しているビジネス書や自己啓発本が溢れている。
子供の頃からそうだ。友達は多ければ良いだとか、みんなと仲良くしなさいだとか、外に出て遊びなさいだとか、そうした所謂「外向型」の特徴を奨励する教育が一般的なのだ。
ではこの「外向型」至上主義の世の中を「内向型」であるぼくがたくましく生きていくにはどうしたらいいのか?そもそも同じような先人はたくさんいるはずだから取り敢えず本の中にヒントを求めてみようと外向型、内向型に関する本をたくさん読んでみた。その中でも一番自分に響いたマーティ・O・レイニー氏の著書「内向型を強みにする」には示唆溢れるヒントがたくさんあった。(いつも外国人の著書の方が世界中の英知が結集してより研ぎ澄まされている感を受けるのはぼくだけですか?)
人の考えや行動は情動、気分、気質の三つで決まるらしい。
情動とはまさに瞬間の気持ち。例えば満員電車の中でおっさんが臭くて瞬間的に殺意が芽生えた等その情動を起こした原因は分かりやすい。
気分とは数時間から数日続く気持ち。何となくここ最近気分が優れない、等原因は顕在的なものから潜在的なものまで様々。
そして気質。これは遺伝子レベルで初めから決まっている要素も多いが、成育環境や経験に影響される場合もある。
そして、この気質は情動や気分の更に土台となるレイヤーでずっと横たわっているのだ。その気質には「内向型」と「外向型」がある。
人間は本来「内向性」と「外向性」を両面持っているという。それぞれが両端にある線が存在するとすれば、例えば内向性に寄った点で居心地が良い人間は比較的内向型であると言った具合だ。
居心地が良いとは、「エネルギーを補給しやすい、バッテリーが回復しやすい」かどうかである。
外向型は外界の刺激を受けることにより興奮し、生きる喜び、明日への活力を得る。
それに対し、内向型は外界から得られた情報について考えたり、整理したり、過去の経験と照らし合わせて新しいものを生み出したり、体の内側、頭の中で起こる活動に対して感動、興奮、生きるためのエネルギーを生み出すのだ。
これらの性質の違いは遺伝子レベルでも少しずつ解明され始めているらしい。
D4DR遺伝子というものがあるが、これは神経伝達物質のドーパミンに対する受容性に関わる遺伝子だ。
これが長いとドーパミンに対する受容性が低くなる。つまり興奮しにくくなる。そして短いと逆の現象が起こる。
つまり、外向型の人間はD4DR遺伝子が長いのだ。ちょっとやそっとの刺激じゃ足りないから常に外界へ新しい刺激を求め動き回るのだ。
それに対し内向型はD4DR遺伝子が短い。つまり少しの刺激にも多大なドーパミンが放出されるのだ。外からの刺激が強過ぎたり、長時間晒され過ぎることには向いていない。むしろ自分の中にある適度な量だけ摂取できればそれで充分なのだ。そしてその受けた刺激を充分に咀嚼、反芻する時間が欲しいのだ。
どんな統計を取ったのかは知らないが世の中の75%は所謂「外向型」で、残り25%は「内向型」らしい。見分ける一番分かりやすい方法は前述の通り、どんな時に自分のバッテリーが回復するかだ。
そりゃ同調圧力大国日本だから75%の外向型人間に合わせて動き続ければ疲れてしまうよなと、納得した。
生まれてから高校卒業ぐらいまでは外向型に合わせて生きる、または自分も外向型の特徴を備えなきゃと思って行動することが非常に多かった。
大学に入ってからは連む仲間も選べるし、自由に動けるから比較的楽だった。
社会人になってからは再び「外向型」こそ成功するといったような教育を受けた。また、私は営業畑にいる人間なのでその要素は尚更強かった。
自分の性質をもう少し早期に理解していればそれに合った仕事を選べたかもしれないが、今更色々言ってもしょうがない。
タバコ場や飲み会でしか商談のFBを受けられなかったり、社内の非協力的なバックオフィスの人間に頭を下げ続ける日々は辛かった。
転職してから少し変わった。今までフルスロットルで働いていたが、少し仕事の負荷が下がったことを機に私生活も徐々に変えていった。
今までは外向型のバッテリー回復法、つまり外界からの刺激を受けることによるエネルギーの補給を試みていたため日夜飲み会に繰り出したり土日には誰かと会ったりと精力的に活動していたのだが、今の仕事はコアタイムがしっかり決まっているため規則正しく生活が出来るようになった。
規則正しく生活していると毎日の身体の調子と仕事のパフォーマンスの関係性が分かってくるため、今度は身体の健康を強化するようになった。身体が健康になると仕事のパフォーマンスも上がるし、気持ちも良いため、無駄な飲み会に行く機会も減った。
また、同棲、結婚も良い方向に働いた。毎週予定が埋まっていないと何か充実した気分になれないような恐怖感からも解放された。また、信頼出来る気のおけない妻との毎日のやり取りは、自己肯定感を高めてくれた。
ここ2〜3年は人生で一番幸せだと感じている。理由は自分が本来持つペースに生活をフィットされることが出来たからだと思っている。
学生時代は、クラスのメンバーを選べないコミュニティの中で如何に外向型の人間と仲良くするか(概して外向型の人間がクラスの中心になりやすいからそれに合わせることも多かった)に囚われていたし、社会人の新人時代もとにかく最初は自信もスキルも実績も無い中で盲目的に先輩や周りの人間についていくしかなかった。
今は自分のスキルレベルに合わせた仕事選び、そしてトップ層含め比較的内向型に寛容な職場環境のお陰で無理に周りのペースに合わせる必要も無くなったのである。
「内向型を強みにする」の中には次のような例え話がある。うさぎとかめの話だ。
話のあらすじは誰もが知るところではあるが、まさに外向型はうさぎ、そして内向型はかめなのだ。
外向型は次々に外界の刺激を求め、たくさんの人や出来事と交わり興奮、快感を覚える。更なる刺激を得るためにはどこまでも行動し続ける。だから内向型より、早く前へ進んでいるように見えるのだ。
概してこういうタイプの人間はチャンスを掴みやすい。理由は当たり前だか外に対して働きかける回数が内向型に比べて圧倒的に多いからだ。ひょんなきっかけから小さな成功を体験し、それが更なる行動によって連鎖されていくのだ。目に見えて直ぐに結果に出やすいのも一つの特徴である。
私ももれなくそうだが、そうして成功を収めていく彼らに対して強烈な劣等感やジェラシーを覚えていた。自分もそうならなくてはいけない。そのために無理をして積極的に色々なところに顔を出してみたりした。まさに外向型の成功パターンに追いつけ追い越せを繰り返してきたことが常に生き急いでいる感覚を覚えていた正体だったのだ。
しかし外向型も良いことばかりではない。彼らは外界に対して働きかけることで刺激、快感を得られる一方、振り返る力や、ペースダウンする力が弱い。その結果周りを客観的に見る力が欠けていたり、いつのまにか燃え尽きてしまっていることで急ブレーキを掛けざるを得ない状況に陥るリスクがある。
それに対してかめはスローだ。積極的に外界に刺激を求めることもしない。するとしても入念に、慎重に自分のバッテリー残量を見ながら歩みを進める。
そして歩み進めた上で得られた刺激に対して内省を入れる。その結果三歩進んで二歩下がるようなことも多々ある。
でもそれで良いのだ。一歩は進んでいる。スローに、しかし着実に歩みを進めている。常に周りをクリアに把握しながら進んでいるからだ。
確かに結果を出すためには時間が掛かるかもしれない。しかしそれで良いのだ。日々小さな迷いはあれど、毎日軌道修正を繰り返しながら一歩ずつ着実に進む、そのプロセス、「成長」に生きる意味、幸せを見出すのだから。