muuchan-sensei’s blog

プロ飼い猫であるむーちゃん先生が飼い主の独り言をまとめている。飼い主は都内の某外資系IT企業で社畜ライフを満喫しながら日々何かを模索しているらしい。

アートを買う理由

最近合理主義に走り過ぎると人生がつまらなくなるというテーマのブログを書いた。

 

muuchan-sensei.hatenablog.com

 

タイトルにピンと来た方は是非共読んで欲しい!のだが、要は

 

「何でもかんでも合理的かどうかで物事を判断しながら過ごしていると心が死んでしまうよ、人間の存在こそ非合理極まりないのだから心の赴くままに過ごしてみる時間を持つことでバランスよく生きよう!」

 

という全力で岡本太郎先生の影響を受けまくった内容なのだ。(詳しくは先生の名著「自分の中に毒を持て」をどうぞ)

 

「心の赴くままに行動する」という意味はつまり、「やりたいからやる」という意味である。

 

カッコよく見られたいから筋トレをするでもなく、仕事で役立つから簿記の勉強をする訳でもなく、ただ風を感じたくてバイクに乗る、土をいじりたいから庭の手入れをする、シャボン玉が見たいから膨らましてみるといった特定の目的を持たない行動である。

 

自分の場合は何が当てはまるだろうと考えた。真っ先に浮かんだのがギター演奏だ。心赴くままに弾いてみる。すぐに飽きてしまった。新しい曲にも挑戦してみる。お、少し楽しくなってきた。夢中になる。しかしある程度コツが掴めた状態で飽きてしまった。

 

何がいけないのだろうか?答えはすぐに見つかった。いつもギターを弾くモチベーションは披露する機会があったからだ。学生時代は何とか自分のアイデンティティが欲しくて、学園祭や何気ない放課後なんかで披露するためにやたら練習していた。それが純粋に楽しかった。

 

今はどうだろうか?バンドは少し休眠させている。新しい曲やスタイルの方向性が自分の中でまだ定まっていないからだ。楽器を持つといつも新しい曲のアイデアはないだろうかと、何か曲を作る目的の練習になってしまう。そして新しい曲をいつも作りたい理由は自分の名刺がわりになるような曲が欲しいからだ。その曲を元に少し有名になりたいとさえ思っている。ここでもやはり目的が先行してしまった。

 

次に映画鑑賞が思い浮かんだ。映画館に見にいく場合もあれば、レンタルショップで借りる場合もある。ここでも一つ問題にぶち当たってしまった。気が付いたら今のプライベートや仕事の悩みを解消してくれそうな、そうしたヒントになりそうな映画といった軸で選んでしまっている自分がいたのだ。ここでも目的が先行してしまった。

 

そして今日ついにコレだ!!と、頭がぶっ飛ぶぐらい嬉しい瞬間に遭遇してしまったのである。

 

今日は子供服や家具を見に妻と自由が丘をぶらぶらしていた。そこで立ち寄ったIDEEにて、下記の作品を発見したのだ。

 

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観る人によっては何も感じない人もいるだろうが、ぼくは何かよく分からないエネルギーが全身から湧き出て、「...欲しい!!!!」と全力で感じたのだ。

 

久々に心が躍動するのを感じた。まだ買ってもいないのに部屋のどこに飾ろうか、廊下に飾れば毎日この筆の質感を見ながらうっとりできるな、だとか、この少し不気味な目で真夜中トイレに立った時に睨まれたらゾワっとするだろうな、だとか色々妄想してしまったのだ。

 

よくよく考えたら「アートを買う」という行為こそ、ただ欲しいから買う、その作品と共にただ上質な時間を過ごすということに他ならないのだ。(投資目的だとか、有名画家のアートを見栄の象徴のように買い漁る行為は別だが)

 

別に他の誰に見せる訳でもない、自分が「所有している」という感覚を味わいながら、作品が醸す様々な表情を味わう。この上ない幸せじゃないか...!

 

今までアートに高い金を出して一体何が楽しいのだと考えていたのだが、実際はアートを高値で買うという行為こそが非合理極まりない行為かつ最高に人間らしい行為だと気づいたのだ。(ただの合理主義的観点で見ると人を殴る鈍器のような目的でしか使えないし)

 

国宝級の絵画を鑑賞しにいくだけ、という楽しみ方ともまた少し違うのだ。コピーを買って楽しむでも無いのだ。(もちろんそれはそれで楽しむけど)作者の息遣いが見えてくるような「本物」の作品を「毎日」眺めて楽しむことに意味があるのだ。

 

アートコレクター。うん、響きも悪くない。新しい趣味を見つけるとこんなに気持ちがいいのか。

 

予算は最高でも10万以内にしよう。有名無名は考えず、心赴くままに良いと思ったものを手に入れよう。そんな素敵な経験をするために仕事を頑張る、という考え方も悪くはない。