muuchan-sensei’s blog

プロ飼い猫であるむーちゃん先生が飼い主の独り言をまとめている。飼い主は都内の某外資系IT企業で社畜ライフを満喫しながら日々何かを模索しているらしい。

合理主義に走り過ぎると痛い目に合う?

数年前に仕事を変え、以前よりかなり規則正しく生活するようになった。

 

昔は仕事で上手くいかなかったことや寂しさを紛らすために毎晩飲み歩き、朝まで飲んだ日には、翌日テレフォンブースで爆睡と言った具合だった。

 

今は7時にはオフィスに到着、18時にはほぼきっちり仕事を切り上げ23時には就寝、土曜の朝は部屋全体の掃除、ランニング 、と絵に描いたような健康的な生活を送っている。

 

これは仕事のコアタイムが9:00〜18:00に凝縮されたからだ。顧客対応は基本的にこの時間以外には行わない。以前のようにダラダラと遅くまでオフィスに残ったりすることも無い。ということはいかにこの9:00〜18:00の間に全力投球を行うかが重要であり、前後の時間の組み立ても全てこのコアタイム中心に考えられる。

 

コアタイム中に集中力を極限まで高めるために様々なことをルーティン化した。筆者は集中力をMP(ドラゴンクエストに従ってマジックパワー)と呼び頭の中で仮想的に可視化している。

 

主にMPを消費するタイミングは2パターンあり、それは

 

1:何かを「する」「しない」と判断した時

2:何かを望んだ時

 

なのだが、要はこの2パターンを日々の生活で如何に減らすかが重要になってくるのだ。

 

そのためにいつも使う洗剤や、歯磨き粉や、通うコンビニや、着る服のブランドや、そのバリエーション、お昼何を食べるか、何時に寝て、何時に起きるかといったあらゆる行動をルーティン化した。

 

結果、仕事のパフォーマンスは飛躍的に向上した。今まで感じたことない程の集中力を維持でき、その結果として仕事が早く終わるので規則正しい生活が送れ、またその結果として翌日への体力と集中力をキープできるという好循環が生まれた。

 

ルーティン化すればする程仕事は上手く回るようになったし、健康にもなっていった。しかし同時に非合理的なことや無駄だと感じることが以前にも増して極端に嫌いになった。

 

有益で無かったり、不快な思いをさせられそうだと判断した人には会わなくなり、(そもそもかなり人付き合いが減った)テレビも無駄な内容だと思うことが多くなり、眠気覚ましの朝のニュース番組ぐらいしかまともに見なくなり、面白そうな小説ではなく何かに役立ちそうな実用書ばかりを読み、損得勘定で動く場合が非常に多くなった。

 

その結果どうなったか?何のために生きているのかよく分からなくなった。

 

身体も健康、仕事も順調、家族とも円満、他に何を望むんだという程の状況にも関わらず言い様の無い虚しさが時々襲った。

 

その原因は何なのか、探るために様々な本を読んだ。その中で一番ヒットしたのは岡本太郎先生の「自分の中に毒を持て」だった。

 

人間は元々無目的、非合理な存在として生まれた。また、なぜこの世に生まれ、生き続けるのかを誰も知らない。にも関わらずほとんどの人間は科学主義、合理主義、つまり政治、経済だけが価値であり、社会の現実だと思って生きている。条件のみの上に成り立つ世界。それだけでは虚しい。割り切れる面ばかりではなく、いわば無目的な、計算外の領域に生命を飛躍させなければ生きがいはないと彼は述べている。

 

まさにこれが原因だと思った。つまりこの数年間過激な程社会の科学主義、合理主義のシステムに心も体もフィットさせた結果人間本来の無目的、非合理さを深く押し殺してしまっていたという訳だ。

 

また、今の仕事は限りなく効率的に業務を回すかが肝であり、その仕組みづくりに関わる機会も多くなっていたため余計にフィットを助長させてしまったのも原因である。

 

ではどうすれば人間らしさを取り戻せるのか?単純に生きる喜びを、復活させることができるのか?

 

ヒントは子供の行動特性にあると思った。人は大人になるにつれ行動を起こす動機のうち、損得勘定が占める割合がどんどん大きくなってくると言う。これをやれば儲かるのか?モテるのか?無駄が減るのか?といった具合に。

 

それに対して子供はただやりたいからやるだけだ。ザリガニを捕りたいから捕るし、シャボン玉は膨らませたいから膨らませる、お絵描きしたいからお絵描きする。

 

そういうことではないだろうか?いつのまにか純粋に何かをやりたいという気持ちを抑える癖がついてしまっている。別に絵を描けだとか、作曲しろだとか、限定した話ではない。

 

原っぱに寝っ転がりたい、だとか、駄菓子をいっぱい買って思いっきり食べたい、だとか日常の小さなことでいい。ただやりたいことをやりたいようにやる、という癖をつけてみてもいいのではと考えている(無理矢理やるとまた目的的な意味合いが含まれるので気をつけたいが)

 

もちろん科学主義、合理主義を完全に否定する訳ではない。この社会に生まれた以上生き残るためには物理的に生きる術は必要だ。その場合には科学主義、合理主義はかなり重要なポイントになってくる。また、やりたいことをやりたいようにやるのにもお金が必要だ。

 

また、非合理や無目的に立ち向かい過ぎると悲惨な目に合う。狂気の世界へ突入し、数多くの芸術家は自らの命を絶っている。

 

要はバランスが重要なのだ、合理も非合理も両方必要なのだ。このバランスを上手く保つことが健やかに生きるコツなのだという結論に至った。

 

長くなってしまったが、この結論を元にバランス良く生きてみたいと思う。またしばらく経ってから結果は報告する。では。